南齊書巻十六
志第八
百官
建官設職、興自炎昊、方乎隆周之册、表乎盛漢之書、存改回沿、備於歷代、先賢往學、以之雕篆者衆矣、若夫胡廣舊儀、事惟簡撮、應劭官典、殆無遺恨、王朗奏議、屬霸國之初基、陳矯增曹、由軍事而補闕、今則有魏氏官儀・魚豢中外官也、山濤以意辯人、不囗囗囗、荀勗欲去事煩、唯論幷省、定制成文、本之晉令、後代承業、案爲前准、肇域官品、區別階資、蔚宗選簿梗槩、欽明階次詳悉、虞通・劉寅因荀氏之作、矯舊增新、今古相校、齊受宋禪、事遵常典、旣有司存、無所偏廢、其餘散在史注、多已筌拾、覽者易知、不重述也、諸臺府郞令史職吏以下、具見長水校尉王珪之職儀、 | 官を建ちて職を設くること、炎昊自り興り、隆周の册に方(なら)び、盛漢の書に表はる。存改回沿、歷代に備さにし、先賢往學、之を以て篆を雕る者衆し。夫の胡廣の舊儀の若き、事は惟れ簡撮にし、應劭の官典には、殆ど遺恨無し。王朗の奏議は、霸國の初めて基するに屬せば、陳矯の曹を增し、軍事に由りて而して補闕す。今は則ち魏氏官儀・魚豢の中外官有るなり。山濤は意を以て人を辯め、不囗囗囗。荀勗は事煩を去らんと欲し、唯だ幷省を論ず。定制もて成文とし、之に晉の令に本づき、後代には業を承け、案じて前准と爲す。肇めて官品を域し、階資を區別し、蔚宗の選簿は梗槩なれども、欽明にして階次詳悉、虞通・劉寅は荀氏の作に因り、舊きを矯めて新しきを增し、今古相い校す。齊は宋の禪を受け、事は常典に遵ひ、旣に司存を有し、偏廢せし所無し。其の餘りは散りて史注に在り、多くは已に筌拾すれば、覽者知り易く、重ねて述べざるなり。諸〻の臺府の郞令の史職吏以下は、具に長水校尉王珪之の職儀に見ゆ。 |
相國、 | 相國。 | |
蕭・曹以來、爲人臣極位、宋孝建用南譙王義宣、至齊不用人、以爲贈、不列官、 | 蕭・曹以來、人臣の極位爲り。宋の孝建(454-456)に南譙王義宣を用ふ。齊に至りて人を用ひず、以て贈と爲し、官に列せず。 | |
太宰、 | 太宰。 | |
宋大明用江夏王義恭、以後無人、齊以爲贈、 | 宋の大明(457-464)に江夏王義恭を用ふるも、以後は人無し。齊には以て贈と爲す。 | |
太傅、 | 太傅。 | |
太師・太保・太傅、周舊官、漢末、董卓爲太師、晉惠帝初、衞瓘爲太保、自後無太師、而太保爲贈、齊唯置太傅、 | 太師・太保・太傅は、周の舊官なり。漢の末には、董卓太師と爲る。晉の惠帝の初めには、衞瓘を太保と爲す。自後は太師無く、而して太保は贈と爲す。齊には唯だ太傅を置く。 | |
大司馬、 大將軍、 |
大司馬。 大將軍。 | |
宋元嘉用彭城王義康、後無人、齊以爲贈、 | 宋の元嘉(424-453)に彭城王義康を用ふるも、後は人無し。齊には以て贈と爲す。 | |
太尉、 司徒、 司空、 |
太尉。 司徒。 司空。 | |
三公、舊爲通官、司徒府領天下州郡名數戶口名簿籍、雖無、常置左右長史・左西曹掾屬・主簿・祭酒・令史以下、晉世王導爲司徒、右長史干寶撰立官府職儀已具、 | 三公は、舊は通官爲り。司徒府は天下州郡の名と數戶口の名簿籍を領す。無しと雖も、常に左右の長史・左西曹の掾屬・主簿・祭酒・令史以下を置く。晉の世の王導の司徒爲りしときに、右長史干寶は官府の職儀を撰立すれば已に具ふ。 | |
特進、 | 特進。 | |
位從公、 | 位は公に從ふ。 | |
諸開府儀同三司、 驃騎將軍、 車騎將軍、 衞將軍、 鎭軍將軍、 中軍將軍、 撫軍將軍、 四征將軍、東・西・南・北、 四鎭將軍、 |
諸〻の開府儀同三司。 驃騎將軍。 車騎將軍。 衞將軍。 鎭軍將軍。 中軍將軍。 撫軍將軍。 四征將軍。東・西・南・北。 四鎭將軍。 | |
凡諸將軍加大字、位從公、開府儀同如公、凡公督府置佐、長史・司馬各一人、諮議參軍二人、諸曹有錄事、功曹、記室、戶曹、倉曹、中・直兵、外兵、騎兵、長流賊曹、城局、法曹、田曹、水曹、鎧曹、集曹、右戶、十八曹、城局曹以上署正參軍、法曹以下署行參軍、各一人、其行參軍無署者、爲長兼員、其府佐史則從事中郞二人、倉曹掾・戶曹屬・東西閤祭酒各一人、主簿舍人御屬二人、加崇者、則左右長史四人、中郞掾屬竝增數、其未及開府、則置府亦有佐史、其數有減、小府無長流、置禁防參軍、 | 凡そ諸〻の將軍に「大」の字を加ふるは、位は公に從ふ。開府儀同は公の如し。凡そ公府に督として佐を置くには、長史・司馬各〻一人、諮議參軍二人。諸曹に錄事、功曹、記室、戶曹、倉曹、中・直兵、外兵、騎兵、長流賊の曹、城局、法曹、田曹、水曹、鎧曹、集曹、右戶、十八曹有り。城局曹以上は正參軍に署し、法曹以下は行參軍に署し、各〻一人。其の行參軍の署する無き者は、長兼員と爲す。其の府の佐史は則ち從事中郞二人、倉曹の掾・戶曹の屬・東西閤の祭酒各〻一人、主簿舍人御屬二人。加崇する者には、則ち左右の長史四人、中郞の掾屬を竝びに增數す。其の未だ開府に及ばざるものには、則ち府を置くに亦た佐史有るも、其の數には減有り。小府には長流無く、禁防參軍を置く。 | |
四安將軍、 四平將軍、 左・右・前・後將軍、 征虜將軍、 四中郞將、 |
四安將軍。 四平將軍。 左・右・前・後將軍。 征虜將軍。 四中郞將。 | |
晉世荀羨・王胡之竝居此官、宋・齊以來、唯處諸王、素族無爲者、 | 晉の世に荀羨・王胡之は竝びに此の官に居る。宋・齊以來、唯だ諸王を處き、素族の爲りし者無し。 | |
冠軍將軍、 輔國將軍、 寧朔將軍、 寧遠將軍、 龍驤將軍、 |
冠軍將軍。 輔國將軍。 寧朔將軍。 寧遠將軍。 龍驤將軍。 | |
凡諸小號、亦有置府者、 | 凡そ諸〻の小號にも、亦た府を置く者有り。 |
太常、 | 太常。 | |
府置丞一人、五官・功曹・主簿、九府九史皆然、領官如左、 | 府に丞一人を置き、五官・功曹・主簿は、九府九史皆な然り。官を領すること左の如し。 | |
博士、謂之太學博士、 國子祭酒一人、博士二人、助敎十人、 |
博士は、之を太學博士と謂ふ。 國子祭酒一人。博士二人。助敎十人。 | |
建元四年、有司奏置國學、祭酒准諸曹尙書、博士准中書郞、助敎准南臺御史、選經學爲先、若其人難備、給事中以還明經者、以本位領、其下典學二人、三品、准太常主簿、戶曹・儀曹各二人、五品、白簿治禮吏八人、六品、保學醫二人、威儀二人、其夏、國諱廢學、有司奏省助敎以下、永明三年、立學、尙書令王儉領祭酒、八年、國子博士何胤單爲祭酒、疑所服、陸澄等皆不能據、遂以玄服臨試、月餘日、博議定、乃服朱衣、 | 建元四年(482)に、有司奏して國學を置き、祭酒は諸曹の尙書に准じ、博士は中書郞に准じ、助敎は南臺の御史に准ず。經學を選ぶを先と爲す。若し其の人備へ難くば、給事中より以て還して經に明るき者に、本位を以て領せしむ。其の下に典學二人、三品、太常の主簿に准じ、戶曹・儀曹各〻二人、五品、白簿治禮の吏八人、六品、保學醫二人、威儀二人。其の夏に、國の諱にして學を廢し、有司奏して助敎以下を省く。永明三年(485)には、學を立て、尙書令王儉に祭酒を領せしむ。八年(490)には、國子博士何胤を單(ひと)り祭酒と爲すも、服する所を疑ひ、陸澄等は皆な據る能はず、遂に玄服を以て試に臨む。月に餘りし日に、博議定め、乃ち朱衣を服す。 | |
總明觀祭酒一人、 | 總明觀祭酒一人。 | |
右泰始六年、以國學廢、初置總明觀、玄・儒・文・史四科、科置學士各十人、正令史一人、書令史二人、幹一人、門吏一人、典觀吏二人、建元中、掌治五禮、永明三年、國學建、省、 | 右は泰始六年(470)に、國學廢するを以て、初めて總明觀を置き、玄・儒・文・史の四科、科ごとに學士各〻十人を置き、正令史一人、書令史二人、幹一人、門吏一人、典觀の吏二人。建元中(479-482)には、五禮を治むるを掌る。永明三年(485)には、國學建つれば、省く。 | |
太廟令一人、丞一人、 明堂令一人、丞一人、 太祝令一人、丞一人、 太史令一人、丞一人、 廩犧令一人、丞一人、 |
太廟令一人、丞一人。 明堂令一人、丞一人。 太祝令一人、丞一人。 太史令一人、丞一人。 廩犧令一人、丞一人。 | |
置令丞以下皆有職吏、 | 令丞以下を置きて皆な職吏を有す。 | |
太樂令一人、丞一人、 諸陵令、 |
太樂令一人、丞一人。 諸陵の令。 | |
永明末置、用二品三品勳、置主簿・戶曹各一人、六品保擧、 | 永明(483-493)の末に置き、二品三品の勳を用ふ。主簿・戶曹各〻一人を置き、六品保ちて擧ぐ(?)。 | |
光祿勳、 | 光祿勳。 | |
府置丞一人、領官如左、 | 府に丞一人置き。官を領すること左の如し。 | |
左右光祿大夫、 | 左右の光祿大夫。 | |
位從公、開府置佐史如公、 | 位は公に從ひ、開府に佐史を置くこと公の如くす。 | |
光祿大夫、 | 光祿大夫。 | |
皆銀章靑綬、詔加金章紫綬者、爲金紫光祿大夫、樂安任遐爲光祿、就王晏乞一片金、晏乃啓轉爲金紫、不行、 | 皆な銀章靑綬なれども、詔して金章紫綬を加ふる者をは、金紫光祿大夫と爲す。樂安の任遐の光祿爲りしときに、王晏に就きて一片の金を乞ひ、晏乃ち啓して轉じて金紫と爲すも、行はず。 | |
太中大夫、 中散大夫、 |
太中大夫。 中散大夫。 | |
諸大夫官、皆處舊齒老年、重者加親信二十人、 | 諸〻の大夫の官は、皆な舊は齒の老年なるを處き、重き者には親信二十人を加ふ。 | |
衞尉、 | 衞尉。 | |
府置丞一人、掌宮城管籥、張衡西京賦曰、衞尉八屯、警夜巡晝、宮城諸却敵樓上本施鼓、持夜者以應更唱、太祖以鼓多驚眠、改以鐵磬云、 | 府に丞一人を置く。宮城の管籥を掌る。張衡の西京賦に曰く、「衞尉の八屯は、夜には警して晝には巡る」と。宮城の諸〻の却敵樓の上は本と鼓を施し、夜を持する者は以て更唱に應ずるも、太祖は鼓多く眠りを驚くを以て、改むるに鐵磬を以てすと云ふ。 | |
廷尉、 | 廷尉。 | |
府置丞一人、正一人、監一人、評一人、律博士一人、 | 府に丞一人を置く。正一人、監一人、評一人、律博士一人。 | |
大司農、 | 大司農。 | |
府置丞一人、領官如左、 | 府に丞一人を置く。官を領すること左の如し。 | |
太倉令一人、丞一人、 導官令一人、丞一人、 籍田令一人、丞一人、 |
太倉令一人、丞一人。 導官令一人、丞一人。 籍田令一人、丞一人。 | |
少府、 | 少府。 | |
府置丞一人、領官如左、 | 府に丞一人を置き、官を領すること左の如し。 | |
左右尙方令各一人、丞一人、 鍛署丞一人、永明三年省、四年復置、 御府令一人、丞一人、 東冶令一人、丞一人、 南冶令一人、丞一人、 平准令一人、丞一人、 上林令一人、丞一人、亦屬尙書殿中曹、 |
左右の尙方令各〻一人、丞一人。 鍛署丞一人。永明三年(485)に省き、四年(486)に復た置く。 御府令一人、丞一人。 東冶令一人、丞一人。 南冶令一人、丞一人。 平准令一人、丞一人。 上林令一人、丞一人。亦た尙書殿中の曹に屬す。 | |
將作大匠、 太僕、 大鴻臚、 |
將作大匠。 太僕。 大鴻臚。 | |
三卿不常置、將作掌宮廟土木、太僕掌郊禮執轡、鴻臚掌導護贊拜、有事權置兼官、竟乃省、 | 三卿は常には置かず。將作は宮廟の土木を掌る。太僕は郊禮に轡を執るを掌る。鴻臚は導護贊拜を掌る。事有らば權に置きて兼官とし、竟らば乃ち省く。 | |
乘黃令一人、 | 乘黃令一人。 | |
掌五輅安車、大行兇器轀輬車、 | 五輅安車、大行の兇器轀輬車を掌る。 | |
客館令、 | 客館令。 | |
掌四方賓客、 | 四方の賓客を掌る。 | |
宣德衞尉・少府・太僕、 | 宣德衞尉・少府・太僕。 | |
鬱林王立、文安太后卽尊號、以宮名置之、 | 鬱林王立ち、文安太后は尊號に卽し、宮名を以て之を置く。 | |
大長秋、 | 大長秋。 | |
鬱林立皇后置、 | 鬱林は皇后を立てて置く。 |
錄尙書、 尙書令、 |
錄尙書。 尙書令。 | |
總領尙書臺二十曹、爲內臺主、行遇諸王以下、皆禁駐、左右僕射分道、無令、左僕射爲臺主、與令同、 | 尙書臺の二十曹を總領し、內臺の主爲り。行きて諸王以下に遇へば、皆な禁駐す。左右の僕射は道を分かつ。令無くば、左僕射を臺主と爲し、令と同じくす。 | |
左僕射、 | 左僕射。 | |
領殿中主客二曹事、諸曹郊廟・園陵・車駕行幸・朝儀・臺內非違・文官擧補滿敍疾假事、其諸吉慶瑞應衆賀・災異賊發衆變・臨軒崇拜・改號格制・莅官銓選、凡諸除署・功論・封爵・貶黜・八議・疑讞・通關案、則左僕射主、右僕射次經、維是黃案、左僕射右僕射署朱符見字、經都丞竟、右僕射橫畫成目、左僕射畫、令畫、右官闕、則以次幷畫、若無左右、則直置僕射在其中閒、總左右事、 | 殿中主客二曹の事、諸曹は郊廟・園陵・車駕行幸・朝儀・臺內の非違・文官の擧補滿敍疾假の事、其の諸〻の吉慶瑞應衆賀・災異賊發の衆變・臨軒崇拜・改號格制・莅官銓選を領し、凡そ諸〻の除署・功論・封爵・貶黜・八議・疑讞・通關の案に、則ち左僕射は主たり、右僕射は經に次ぎ、維だ是れ黃案は、左僕射右僕射の署する朱符見字は、都丞を經を竟り、右僕射は橫畫して目を成し、左僕射畫せば、令畫す。右官闕かば、則ち次を以て幷せて畫せしむ。若し左右無くば、則ち直に僕射を置きて其の中閒に在り、左右の事を總べしむ。 | |
吏部尙書、 | 吏部尙書。 | |
領吏部・刪定・三公・比部四曹、 | 吏部・刪定・三公・比部の四曹を領す。 | |
度支尙書、 | 度支尙書。 | |
領度支・金部・倉部・起部四曹、 | 度支・金部・倉部・起部の四曹を領す。 | |
左民尙書、 | 左民尙書。 | |
領左民・駕部二曹、 | 左民・駕部の二曹を領す。 | |
都官尙書、 | 都官尙書。 | |
領都官・水部・庫部・功論四曹、 | 都官・水部・庫部・功論の四曹を領す。 | |
五兵尙書、 | 五兵尙書。 | |
領中兵・外兵二曹、 | 中兵・外兵の二曹を領す。 | |
祠部尙書、 | 祠部尙書。 | |
右僕射通職、不俱置、 | 右僕射の通職にして、俱には置かず。 | |
起部尙書、 | 起部尙書。 | |
興立宮廟權置、事畢省、 | 宮廟を興立すれば權に置き、事畢らば省く。 | |
左丞一人、 | 左丞一人。 | |
掌宗廟郊祠・吉慶瑞應・災異・立作格制・諸案彈・選用除置・吏補滿除遣注職、 | 宗廟郊祠・吉慶瑞應・災異・格制の立作・諸〻の案彈・選用除置・吏の補滿除遣に職を注するを掌る(?)。 | |
右丞一人、 | 右丞一人。 | |
掌兵士百工補役死叛考代年老疾病解遣・其內外諸庫藏穀帛・刑辠創業諍訟・田地船乘・稟拘兵工死叛・考剔討補・差分百役・兵器諸營署人領・州郡租布・民戶移徙・州郡縣倂帖・城邑民戶割屬・刺史二千石令長丞尉被收及免贈・文武諸犯削官事、白案、右丞上署、左丞次署、黃案、左丞上署、右丞次署、諸立格制及詳讞大事宗廟朝廷儀體、左丞上署、右丞次署、自令僕以下五尙書八座二十曹、各置郞中令史以下、又置都令史分領之、僕射掌朝軌、尙書掌讞奏、都丞任碎、在彈違諸曹緣常及外詳讞事、應須命議相値者、皆郞先立意、應奏黃案及關事、以立意官爲議主、凡辭訴有漫命者、曹緣諮如舊、若命有諮、則以立意者爲議主、 | 兵士百工を役に補することと死叛の代を考ふることと年老ひて疾病せしものの遣を解くこと・其の內外の諸庫藏の穀帛・刑辠と創業と諍訟・田地船乘・稟拘兵工の死叛・考剔討補・百役を差分すること・兵器諸營の人を署して領すること・州郡の租布・民戶の移徙・州郡縣の倂帖・城邑民戶の割屬・刺史二千石令長丞尉の被收及び免贈・文武諸犯の削官の事を掌る(このあたり『和刻本』は句點が『中華書局校點本』とはまるで異なり、參考にならず)。白案は、右丞上署し、左丞次署す。黃案は、左丞上署し、右丞次署す。諸〻の格制を立つる及び大事を詳讞大事して宗廟朝廷の儀體は、左丞上署し、右丞次署す。令僕自り以下五尙書八座二十曹は、各〻郞中令史以下を置き、又た都令史を置きて分ちて之を領す。僕射は朝軌を掌り、尙書は奏を掌讞し、都丞任碎、在彈違諸曹の緣常及び外の詳讞の事(このあたり『和刻本』は、以下略)。應須命議相い値る者(?)、皆な郞先意を立ち、應に黃案を奏ずる及び事を關するべく(?)、意を立つる者を以て議主と爲す。凡そ辭訴に漫命有る者をは、曹緣諮りて舊の如くす。若し命諮有らば、則ち意を立つる者を以て議主と爲す。 | |
武庫令一人、 | 武庫令一人。 | |
屬庫部、 | 庫部に屬す。 | |
車府令一人、丞一人、 | 車府令一人、丞一人。 | |
屬駕部、 | 駕部に屬す。 | |
公車令一人、 大官令一人、丞一人、 大醫令一人、丞一人、 內外殿中監各一人、 內外驊騮廏丞各一人、 材官將軍一人、司馬一人、 |
公車令一人。 大官令一人、丞一人。 大醫令一人、丞一人。 內外の殿中監各〻一人。 內外の驊騮廏の丞各〻一人。 材官將軍一人、司馬一人。 | |
屬起部、亦屬領軍、 | 起部に屬するも、亦た領軍に屬す。 |
侍中祭酒、高功者稱之、 侍中、 |
侍中祭酒。高功なる者は之を稱す。 侍中。 | |
漢世爲親近之職、魏・晉選用、稍增華重、而大意不異、宋文帝元嘉中、王華・王曇首・殷景仁等、竝爲侍中、情在親密、與帝接膝共語、貂拂帝手、拔貂置案上、語畢復手插之、孝武時、侍中何偃南郊陪乘、鑾輅過白門閫、偃將匐、帝乃接之曰、朕乃陪卿、齊世朝會、多以美姿容者兼官、永元三年、東昏南郊、不欲親朝士、以主璽陪乘、前代未嘗有也、侍中呼爲門下、亦置令史、領官如左、 | 漢の世に親近の職爲り。魏・晉には選びて用ひ、華重を稍增し、而して大意は異にせず。宋の文帝の元嘉中(424-453)には、王華・王曇首・殷景仁等、竝びに侍中と爲り、情は親密に在り、帝と膝を接して共に語り、貂をは帝の手を拂ひ、貂を拔きて案の上に置き、語り畢らば復た手もて之を插す。孝武の時に、侍中何偃は南郊に陪乘し、鑾輅(天子の乘る鈴の附いた大きな馬車)の白門閫を過ぎしときに、偃は將に匐(はらば)はんとし、帝乃ち之に接して曰く、「朕乃ち卿に陪ふ」と。齊の世の朝會には、多く美姿容の者を以て兼官せしむ。永元三年(499)、東昏南郊しときに、朝士を親するを欲せず、主璽を以て陪乘せしむるは、前代に未だ嘗て有らざるなり。侍中をは呼びて門下と爲す。亦た令史を置く。官を領すること左の如し。 | |
給事黃門侍郞、 | 給事黃門侍郞。 | |
亦管知詔令、世呼爲小門下、 | 亦た詔令を管知し、世に呼びて小門下と爲す。 | |
散騎常侍、通直散騎常侍、員外散騎常侍、 | 散騎常侍。通直散騎常侍。員外散騎常侍。 | |
舊與侍中通官、其通直員外、用衰老人士、故其官漸替、宋大明雖華選比侍中、而人情久習、終不見重、尋復如初、 | 舊は侍中と官を通じ、其の通直員外は、衰老の人士を用ひ、故に其官は漸に替る。宋の大明(457-464)には華選して侍中に比ぶと雖も、而して人情久しく習ひ、終に重んぜられず、尋いで復た初めの如くす。 | |
散騎侍郞、通直散騎侍郞、員外散騎侍郞、 給事中、 奉朝請、 駙馬都尉、 |
散騎侍郞。通直散騎侍郞。員外散騎侍郞。 給事中。 奉朝請。 駙馬都尉。 | |
集書省職、置正書令史、朝散用衣冠之餘、人數猥積、永明中、奉朝請至六百餘人、 | 集書省の職は、正書令史を置き、朝散には衣冠の餘りを用ひ、人數猥積す。永明中(483-493)には、奉朝請は六百餘人に至る。 |
中書監一人、令一人、侍郞四人、通事舍人無員、 | 中書監一人、令一人、侍郞四人、通事舍人は員無し。 | |
中書省職、置主書・令史・正書以下、 | 中書省の職に、主書・令史・正書以下を置く。 |
祕書監一人、丞一人、郞、著作佐郞、 | 祕書監一人、丞一人。郞。著作佐郞。 | |
晉祕書閣有令史、掌衆書、見晉令、令亦置令史・正書及弟子、皆典敎書畫、 | 晉の祕書閣に令史有り、衆書を掌るは、晉令に見え、令にも亦た令史・正書及び弟子を置き、皆な書畫を敎ふるを典る。 |
御史中丞一人、 | 御史中丞一人。 | |
晉江左中丞司隸分督百僚、傅咸所云行馬內外是也、今中丞則職無不察、專道而行、騶輻禁呵、加以聲色、武將相逢、輒致侵犯、若有鹵簿、至相驅擊、宋孝建二年制、中丞與尙書令分道、雖丞郞下朝相値、亦得斷之、餘內外衆官、皆受停駐、 | 晉の江左に中丞司隸は分ちて百僚を督し、傅咸の云ひし所の「行馬內外」は是なり。今の中丞は則ち職を察せざる無く、道を專らにして而して行き、騶輻(騎馬と車)禁呵し、加ふるに聲色を以てし、武將相い逢はば、輒ち侵犯を致し、若し鹵簿有らば、相い驅擊するに至る。宋の孝建二年(455)には制して、中丞は尙書令と道を分ち、丞郞下朝相値と雖も、亦た之を斷ずるを得、餘りの內外の衆官は、皆な停駐を受くとす。 | |
治書侍御史二人、 侍御史十人、 |
治書侍御史二人。 侍御史十人。 | |
蘭臺置諸曹內外督令以下、 | 蘭臺に諸曹內外の督令以下を置く。 |
謁者僕射一人、 | 謁者僕射一人。 | |
謁者十人、 | 謁者十人。 | |
謁者臺、掌朝覲賓饗、 | 謁者臺は、朝覲賓饗を掌る。 |
領軍將軍・中領軍、 護軍將軍・中護軍、 |
領軍將軍・中領軍。 護軍將軍・中護軍。 | |
凡爲中、小輕、同一官也、諸爲將軍官、皆敬領・護、諸王爲將軍、道相逢、則領・護讓道、置長史・司馬・五官・功曹・主簿、 | 凡そ中爲るは、小く輕なれども、同じく一官なり。諸〻の將軍の官爲るは、皆な領・護を敬ふ。諸王の將軍爲るに、道に相い逢はば、則ち領・護は道を讓る。長史・司馬・五官・功曹・主簿を置く。 | |
左右二衞將軍、 驍騎將軍、 游擊將軍、 |
左右の二衞將軍。 驍騎將軍。 游擊將軍。 | |
晉世以來、謂領・護至驍・游爲六軍、二衞置司馬次官功曹主簿以下、 | 晉の世以來、領・護より驍・游に至るを謂ひて六軍と爲す。二衞には司馬次官功曹主簿以下を置く。 | |
左右二中郞將、 前軍將軍・後軍將軍・左軍將軍・右軍將軍、號四軍、 屯騎・步兵・射聲・越騎・長水五校尉、 虎賁中郞將、 冗從僕射、 羽林監、 積射將軍、 彊弩將軍、 殿中將軍・員外殿中將軍、 殿中司馬督、 武衞將軍、 武騎常侍、 |
左右の二中郞將。 前軍將軍・後軍將軍・左軍將軍・右軍將軍をは、四軍と號す。 屯騎・步兵・射聲・越騎・長水の五校尉。 虎賁中郞將。 冗從僕射。 羽林監。 積射將軍。 彊弩將軍。 殿中將軍・員外殿中將軍。 殿中司馬督。 武衞將軍。 武騎常侍。 | |
自二衞・四軍・五校已下、謂之西省、而散騎爲東省、 | 二衞・四軍・五校自り已下、之を「西省」と謂ひ、而して散騎を「東省」と爲す。 |
丹陽尹、 | 丹陽の尹。 | |
位次九卿下、 | 位は九卿の下に次ぐ。 |
太子太傅、 | 太子太傅。 | |
少傅、 | 少傅。 | |
府置丞・功曹・五官・主簿、 | 府に丞・功曹・五官・主簿を置く。 | |
太子詹事、 | 太子詹事。 | |
府置丞一人以下、 | 府に丞一人以下を置く。 | |
太子率更令、 太子家令、 |
太子率更令。 太子家令。 | |
置丞、 | 丞を置く。 | |
太子僕、 太子門大夫、 太子中庶子、 太子中舍人、 太子洗馬、 太子舍人、 太子左右衞率各一、 太子翊軍步兵屯騎三校尉、 太子旅賁中郞將一人、 太子左右積弩將軍、 太子殿中將軍・員外殿中將軍、 太子倉官令、 太子常從虎賁督、 |
太子僕。 太子門大夫。 太子中庶子。 太子中舍人。 太子洗馬。 太子舍人。 太子左右の衞率各〻一。 太子翊軍步兵屯騎の三校尉。 太子旅賁中郞將一人。 太子左右の積弩將軍。 太子殿中將軍・員外殿中將軍。 太子倉官令。 太子常從虎賁の督。 | |
右東宮職僚、 | 右東宮の職僚。 |
州牧・刺史、 | 州牧・刺史。 | |
魏・晉世州牧隆重、刺史任重者爲使持節都督、輕者爲持節督、起漢從帝時、御史中丞馮赦討九江賊、督揚・徐二州軍事、而何・徐宋志云起魏武遣諸州將督軍、王珪之職儀云起光武、竝非也、晉太康中、都督知軍事、刺史治民、各用人、惠帝末、乃幷任、非要州則單爲刺史、州朝置別駕・治中・議曹・文學祭酒・諸曹部從事史、 | 魏・晉の世には州牧は隆重し、刺史の任重き者をは使持節都督と爲し、輕き者は持節督と爲し、漢の從帝(順帝)の時に、御史中丞馮赦の九江の賊を討ち、揚・徐二州の軍事を督するに起ち、而して何・徐の宋志に云ふならく「魏武の諸州に將を遣はして軍を督せしむるに起つ」と。王珪之の職儀に云ふならく「光武に起つ」と。竝びに非ざるなりと。晉の太康中(280-289)には、都督は軍事を知り、刺史は民を治め、各〻人を用ふ。惠帝の末に、乃ち任を幷せ、要州に非ざれば則ち單に刺史と爲し。州には朝(まね)きて別駕・治中・議曹・文學祭酒・諸曹の部從事史を置く。 | |
護南蠻校尉、 | 護南蠻校尉。 | |
府置佐史、隸荊州、晉・宋末省、建元元年、復置、三年、省、延興元年置、建武省、 | 府に佐史を置く。荊州に隸ふ。晉・宋の末には省く。建元元年(479)に、復た置き、三年(467)に、省く。延興元年(494)に置き、建武(494-498)に省く。 | |
護三巴校尉、 | 護三巴校尉。 | |
宋置、建元二年、改爲刺史、 | 宋に置く。建元二年(480)に、改めて刺史と爲す。 | |
寧蠻校尉、 | 寧蠻校尉。 | |
府亦置佐史、隸雍州、 | 府にも亦た佐史を置き、雍州に隸ふ。 | |
平蠻校尉、 | 平蠻校尉。 | |
永明三年置、隸益州、 | 永明三年(485)に置き、益州に隸ふ。 | |
鎭蠻校尉、 | 鎭蠻校尉。 | |
隸寧州、 | 寧州に隸ふ。 | |
護西戎校尉、 護羌校尉、 |
護西戎校尉。 護羌校尉。 | |
右四校尉、亦置四夷、 | 右四校尉は、亦た四夷に置く。 | |
平越中郞將、 | 平越中郞將。 | |
府置佐史、隸廣州、 | 府に佐史を置き、廣州に隸ふ。 | |
郡太守・內史、 縣令・相、 |
郡の太守・內史。 縣令・相。 | |
郡縣爲國者、爲內史・相、 | 郡縣の國爲る者をは、內史・相と爲す。 | |
鎭蠻護軍、 安遠護軍、 |
鎭蠻護軍。 安遠護軍。 | |
晉世雜號、多爲郡領之、 | 晉の世の雜號は、多くは郡と爲りて之を領す。 |
諸王師・友・文學各一人、 國官郞中令・中尉・大農爲三卿、左右常侍・侍郞、上軍・中軍・下軍三軍、典書・典祠・學官・典衞四令、食官・廏牧長・謁者以下、公侯置郞中令一卿、 |
諸王の師・友・文學各〻一人。 國官は郞中令・中尉・大農を三卿と爲し、左右の常侍・侍郞、上軍・中軍・下軍の三軍、典書・典祠・學官・典衞の四令、食官・廏牧の長・謁者以下。公侯には郞中令一卿を置く。 |
贊曰、百司分置、惟皇命職、雲師鳥紀、各有其式、 | 贊に曰く、百司分置し、惟れ皇の職を命ず。雲師鳥紀は、各〻其の式を有す。 |
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2009.09.05 一部暫定公開開始